公開日: 2022/09/05
更新日: 2022/09/06
1954年、マン島TT出場宣言をした本田宗一郎が欧州視察から帰国した。その際、持ち帰ってきたのが「クロス・ネジ⦅プラス・ネジ⦆」であったと、共にホンダを創業した藤沢武夫が著書(経営に終わりはない/文藝春秋)に記している。当時、日本にはマイナス・ネジしか存在せず、手作業で締め付けるしかなかった。日本製造業の生産性は、圧縮空気を使って締結できるプラス・ネジの登場によって飛躍的に向上した。
1960年、一般社団法人日本ねじ工業協会が設立。製造技術の向上、人材の育成が行われるようなる。1965年には日本産業規格(JIS)によってインチとメートルが混在していた日本国内において、ISOメートルネジの規格統一化が導入された。このように日本の産業の発達はネジの歴史と共にあると言っても過言ではない。
モーターサイクルも分解・整備を前提とされる締結部品には全てネジが使用されている。細分化されている規格の中から、適切なネジを選別するのは簡単なことではない。そんな時に頼りになるのがネジのプロフェッショナルなのである。
東京都世田谷区上馬にある「ネジの永井」は創業60年のネジの老舗販売店。業販はもちろん、家庭で使用するネジを1本から販売している。
「先代は新潟の出身で起業を夢見て上京し、魚河岸や砂糖の精製工場で働いていた。そこがつぶれてしまって、職案で最初に決まった仕事を一生の仕事にすると誓ったらしいです。再就職したのが今も麻布にあるネジの会社。そこで10年位勤務してから独立して地元のアパートからスタートし、麻布の古川橋を経てこの場所を見付けました。父が独立して60年目、私が継いで29年になります」
決して広くはない店内には、スライド棚を効率よく設置し、素早く依頼のネジを出せるように工夫が施してある。「以前は工具類の販売はしていなくて、ネジだけでした。引き出しもなくて、棚にネジを箱積みしていました。今は店頭に買いに来るお客さんに、ここ(カウンター)で接客してすぐにご要望のネジが出せるようにしているんです」
永井さんの仕事はネジの販売だけにとどまらない。外せなくなったネジ、折れてしまったネジの再生、特殊ネジの製作など、ネジに関わることなら何でも対応してくれる、「ネジの駆け込み寺」のような存在でもある。
「ネジは規格品ですから、どこで買っても同じものが手に入ります。でもお客様の要望は一種類じゃない。色んなものを目で見て、手で触って確認したいものなんです。ネットの画面で見ただけ、袋に入っている状態で判断して無駄な買い物をしてしまう、結構そんなことが多いのです。バイクのパーツを直す時でも、現物と見比べることができるメリットは大きいと考えています」
手軽に購入できるからこそ、ネジを起因とするトラブルが発生する可能性がある。ステンレスネジとアルミ合金で起こる電食などがその一例だ。一本のネジの破損が重大事故に直結するバイクの整備に、規格外のネジを用いてはならない。
ネジの永井の取り扱い点数は何と17万点以上、60年目の経験によって培われた知識と技術が、貴方の業務の強き味方になってくれることは間違いない。
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