公開日: 2026/06/11
更新日: 2026/06/22
ユニバーサルデザインという言葉は知っている。でも、インクルーシブデザインという言葉を知っている、という人は、そう多くはないだろう。だが今後、見聞きする機会が増える可能性の高い、いわばキーワードであることは間違いないだろう。インクルーシブデザインが何かを確認するべく、それをビジネスとして展開している株式会社インクルーシブデザインソリューションズの代表取締役社長・井坂友彌氏に話を聞いた。
裏表・前後のないTシャツ。それは、年齢や障がいの有無に関係なく、誰でも着やすいように作られた製品だ。それについて、いろいろと調べていくうちに出会ったのが「インクルーシブデザイン」という言葉。聞いたことのある人でも、「インクルーシブデザインとは?」と聞かれたら、返答に詰まる。そんな言葉のひとつだろう。では、インクルーシブデザインとは何か、どのような未来を目指しているのだろうか。
――― インクルーシブデザインソリューションズを設立するまでの経緯について教えてください。
井坂 大学卒業後、リクルートに入社し、人材育成や営業業務の標準化コンサルティングを担当しました。1997年に独立し、日本初のWebマーケティング会社を立ち上げ、その後、国連関連組織の東京支部代表や上場企業の役員などを歴任しました。これらを経験する中でビジネスデザインやユーザー体験(UX)の領域に関心を持つようになったのです。インクルーシブデザインソリューションズ(IDS)設立の大きなキッカケとなったのは、暗闇の中を視覚障がい者が案内人となって進んでいく体験型イベント「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」の経営支援でした。
――― すごいイベントですね。具体的にはどういうもの。
井坂 本当に真っ暗闇で、アテンドのサポートなしでは一歩も動けない。今までにない恐怖を感じました。これらの経験などから「障がいとは個人の問題ではなく、社会環境が生み出しているものではないか」と思ったのです。そんな気付きを得て、2012年にIDSを設立しました。当初の目的は、障がい者の仕事領域拡大でしたが、現在は「多様な人の視点から価値を再定義する」インクルーシブデザイン(ID)を軸に、企業の事業開発・製品開発・組織開発、人材育成まで幅広い支援を行っています。
――― IDはユニバーサルデザイン(UD)とどう違うのでしょうか。
井坂 例えば、段差を越えられない人のためにスロープを作る際、幅は何センチ、角度は何度など、規格化したものがUD。当事者である障がいを持つ人などに意見は聞いているのですが、企画、設計、運用までの間に当事者は含まれていません。一般ユーザーだけで進めている。だから、車椅子ユーザーが使いやすいように作られたはずの多目的トイレに「車椅子の人はどう使うの?」と思うような、足踏み式のゴミ箱を設置したりなど、ちょっとおかしな部分があったりします。
対するIDは、UDの不足部分を補おうというのがスタート地点。当事者に最初から参加してもらうことで、今まで気付かなかったようなことにも気が付くようになる。UDもIDも、誰もが使いやすい・分かりやすいものを作ろうという目的は同じ。一番の違いは、プロセスです。そして、IDにおいて重要な役割を担っているのが『リードユーザ』です。
――― リードユーザとは。
井坂 高齢化社会における未来の不便を先取りすることや、障がい者の方が抱える不便などから感じている課題や強いニーズをしっかりと伝えられる人たちです。
――― 障がいを持つ人や高齢者なら誰でもなれるのでしょうか。
井坂 いいえ、IDSが東京都と一緒に作成したプログラムを受講し、テストに合格した人、あるいは同等のスキルを持っていると認定された人しかなれません。現在、ウチには240名のリードユーザがいますが、彼らは新しい価値を創造するためのヒントを提供する存在で、IDSに支援を依頼する企業にとっては、イノベーションの起点にもなるのです。
――― ひとつの資格であり、IDにとって重要な役割なのですね。
井坂 そうです。例えば、全盲の視覚障がい者や車椅子の人は、電車に乗る際、駅員のサポートを受けます。降りる駅を聞かれて、降車駅に駅員が配置されるのを確認してからじゃないと電車に乗れないですよね。以前、有楽町でワークショップ(課題発見やアイデア創出を行うためのプログラム)を行った時、有楽町駅から東京駅まで行くのに1時間かかりました。サポートをしてもらう前提で社会のシステムが作られている。つまり、依存型。でも、リードユーザは違う。自立型の生活を目指し、自分たちが自由に外出したり買い物したりできる社会システムを構築する。つまり、自分たちを取り巻く環境を依存型から自立型へと変える存在がリードユーザであり、彼らはそのような意識で企業の支援活動に取り組んでいます。
――― リードユーザには、自立型への考え方の変化を求めているということ。
井坂 そうですね。それ以外では、企業に対する理解も求めています。組織には意外と矛盾や不整合があり、いつも正しいか間違っているかではなくて、結構グレーゾーンがある。そういう組織内のことを十分に理解した上で、グループワークショップで従業員の人たちにアドバイスをすることができる。そのような力量もリードユーザには求めています。会議や研修などで進行役などを務めるファシリテーターとなんら変わらないスキルをリードユーザにも求めているというのが、認定の条件になっているのです。
――― リードユーザはボランティアですか。
井坂 いいえ、職業です。ビジネスパートナーとして契約しています。1回のワークショップで日給は最低3万円。地方自治体からの依頼を受けても、もらえるのは交通費込みで2000〜3000円。これは、言ってみれば、障がい者がボランティアしているというおかしな話です。また、知的障がいや精神障がいの方が作業所で週に3日、1日3時間作業してもらえる金額は500円。1か月で、ですよ。もう、それは職業とは言えない。1級の障がい者手帳を持っている人でも年金は月7万円。親が亡くなったら、生きていけない。この福祉のあり方に疑問を感じていまして、リードユーザの強みである、顕在的な不便や不安があることを話すことによって、企業の役に立つ。それで得られるのが日給3万円。1日で10万円以上を稼ぐ人もいます。
――― それならば、職業として完全に確立されている形になりますね。
井坂 そうですね。彼らは、リードユーザという職業を全うしてくれています。ただ、レベルは人によってまちまち。企業の製品開発や新規事業に携われる人もいれば、企業のワークショップや研修で精いっぱいという人もいます。
――― リードユーザと企業の接点のひとつである『体験会』を実施されていると聞きました。
井坂 東京では月1回開催しています。体験会はIDを「理解する」のではなく、「体感する」ことを目的とし、多様なユーザーの視点を疑似体験し、極端ユーザーの課題からアイデアを生み出すワークを行います。また、参加者同士の対話を通じて気付きを深めていきます。これまでに5万人以上が参加しており、「見えていなかった顧客」や「思い込み」に気づくキッカケになっているのです。
――― 今、話に出た『極端ユーザー』とは。
井坂 平均的なユーザーから大きく外れた特徴や状況を持つ人のことです。彼らは一見、例外に見えますが、実は表面的な制約が見えるため、本質的な問題をつかみやすいという特徴があります。さらに、制約が大きいからこそ新しい使い方や発想が生まれやすい。極端ユーザーの課題を起点にすると多くの人に共通する価値につながるのです。
――― これまでに支援してきた企業数はどれくらいですか。
井坂 守秘義務があるので具体的な名前は挙げられませんが、これまで、国内を中心に新規事業開発、商品・サービスの再設計、人材育成、CX(顧客体験)改善など647社の企業を支援してきました。
――― すごい数ですね。
井坂 最初の3年間は売上がゼロでした。IDやリードユーザ育成みたいな話だから企業の担当者に刺さらないんだな、と感じ営業活動の方針を変えました。当時、ビジネススクール(大学院)で講義していたのですが、新規事業開発がうまくいかないとか、顕在的なニーズが見えなくなってマーケティングが機能していない、などの話を社会人の生徒がしていました。そこで、その側面からアプローチしたところ、体験会に企業の方がたくさん来てくれるようになりました。それからは営業をしていません。ホームページだけが広報手段で、体験会に来た人から案件化していったのがほとんどです。
――― 最後になりますが、今後の展開について教えてください。
井坂 今後は、IDを一部の先進企業だけでなく、多くの企業が実践する「標準的な手法」にしていきたいと考えています。そして、やがては、リードユーザがこの会社を継いでくれたらと思っています。我々が仕事を取ってきてリードユーザがその場所に行って価値を提供するというのは、依存型なんですよね。我々が仕事をとってこなければ、彼らの仕事は成立しないわけですから。リードユーザ自身が自分の価値をPRしながら仕事を取ってくることで、はじめて自立型になる。それができるようになると、この会社は必要なくなる。そこが最終的なゴールですね。
人気記事ランキング