公開日: 2025/05/20
更新日: 2025/05/20
20坪の店舗で行っていたトラッカー系中古バイクの販売から徐々に路線変更。外車オンリーの、ニッチ路線へと舵を切り、現在は10メーカーを超える、ややマニアックなブランドを扱うSPEED。基本的な考え方は、「車両販売」とそのユーザー車両の「メンテナンス」だ。そのための手段は工賃の差別化。自店ユーザー以外は倍の設定。ある意味、ユーザーを選ぶやり方で現在の地位を確立した。目下の目標は販売力の強化。そのための手段として販売マニュアルを作り上げた。
「16年ほど前、BDSレポートに掲載された、ロイヤルエンフィールドの記事を読んだのがキッカケでした。もし、あれがなければ、いまと状況は変わっていたかもしれません」
ハーレー、BMW、ドゥカティといった、一般的に知名度の高いメーカーではなく、中堅クラスあるいは需要拡大途上にあるメーカーに特化したラインアップを貫く販売店がある。福岡市に4拠点を展開するSPEED Motor Garage(株式会社スピード・原田將弘社長以下、SPEED)だ。その数は12メーカーに及ぶが、主力はロイヤルエンフィールド、MUTT、そしてカンナムである。冒頭のコメントはロイヤルエンフィールドとの“出逢い”について語ったものだ。
原田社長がSPEEDを創業したのは2004年のことだが、それからの約21年間は、ドラスティックな展開の連続だった。そしてそこには同氏の先見性と強運が関係していた。特に「運」については、話を聞いていてゾクッとするほどのものだった。
原田社長は現在53歳。二輪販売店勤務を経て32歳の時、福岡市内に中古車販売店を立ち上げた。店舗は20坪。当時はTWやFTR、SRなど主に流行りのトラッカー系バイクを扱っていた。タマ数が多く価格も手頃なので仕入れはラク。整備も簡単で客層も幅広い。商売的にやり易かったのがその理由。そんななか、最初の出逢いとなったのがハスクバーナだった。
売り上げも順調に伸び、従業員も一人雇用できるようになった。そうなると店は手狭になる。そこで移転を決意した。新拠点に移転する頃、ハスクバーナと同じグループということもあり、MVアグスタの扱いも開始した。移った先はメーカー系ディーラーと大手用品量販店に隣接する国道沿いの絶好の立地だった。だが、移転後もさほど売り上げは変わらない。この時、気付いたのは車両の特殊性。ハスクバーナは取扱店が少ないだけに、欲しいユーザーは店がどこにあろうが足を運ぶ。ロケーションは関係ないことが分かった。高い授業料だったけど勉強になった、と原田社長は振り返る。
ハスクバーナについては、新たな問題が持ち上がった。当時のラインアップは競技車に近いモデルだけでストリートモデルはなかった。ポテンシャルが高いため、街中の試乗では、性能をフルに発揮できない。そのため足つきの悪さや扱いにくさだけが目立ち、試乗することがマイナスになることもあった。
交通量が少なく、ワインディングっぽい走行路のある場所でないと難しい、と考え、再び場所を探し始めた、そこで巡り合ったのが現在の拠点(本店)だった。初めて物件を見た時、直感的に思ったのは「価格面を含めこれより良い物件は出てこないだろう」ということ。原田社長はこれを信じ2回目の移転を決意した。
その後、運命的な出会いとなったのが、件のロイヤルエンフィールドだった。記事を読み当時の総代理店に即座に電話。すぐに話がまとまった。
これを境に、取り扱いブランドを増やしていく戦略に変更した。アディバも新たに加わった。そして訪れたのはBRPジャパンが手掛けるカンナムとの“邂逅”だった。東京の広告代理店から、福岡でディーラーを探している、と声が掛かったのだ。県内では計7店が候補に挙がっていたなか、メーカーと代理店とで面談を重ねた結果、最終的にSPEEDに白羽の矢が立った。
「他の候補店は全てウチより大きい販売店でした。私にとっては契約のハードルが高く、商談が杓子定規に行われると無理であることを伝えました。すると、配慮するのでぜひ、と言っていただいたのです。それで決意しました」
これが創業10年目での「第1のターニングポイント」となった。法人化したのもこの頃だ。
ここに原田社長の強運を証明できる逸話がある。カンナム1号車の登録のため陸運局に行った時、背後から声が聞こえた。
「原田君やったんかい」
声の主はディーラー候補店として名前が挙がっていた店の経営者A氏だった。同氏も挙手したがメーカーからは、商談が進んでいるため話が流れたら連絡する、との回答だったという。この時の商談相手が原田社長だった。結局、商談は流れなかったわけだが、メーカーと代理店によるA氏の店への訪問順は、恐らくSPEEDの一つ前だった。だが、たまたまその日は定休日だったため、SPEEDとの商談が先に行われた。もし、A氏の店が定休日でなかったら・・・。A氏とは陸運局で偶然会ったが、それ以降は1度も会ってないという。
「カンナムは全く畑違いのジャンルなので、販売台数は少なく見積って3台で考えていました。当時、全国にカンナムディーラーは13店ありましたが結果的にウチは真ん中でした。その時、思ったのは、店が大きいからといって売れるわけではない、ということ。候補に挙がった店の経営者は実力者ばかりだけど、問題は店長さんをはじめとする従業員にどれだけ熱い思いがあるか、だと気づいたのです」
当時、SPEEDは原田社長と長澤店長の2名体制。この時、他店と競っても部分的には勝てるのだ、ということが分かった。販売を左右するのは、経営者のイズムの浸透だったのだ。
カンナムの販売が軌道に乗ると、再びスペースの問題が持ち上がった。新たにもう1店舗、増やすことを視野に入れていた時、本店すぐそばのテナントに入店していた会社(現在のカンナム専売店)が撤退した。ベストな物件だが、資金の問題から迷っていると、すぐに埋まってしまった。入店したのは住宅デザイン会社。ショールームのようにオシャレに改装していた。もし撤退すれば居ぬきで行ける、次は絶対にウチが入ると心に決めた。そんな矢先、撤退は2年目にして現実のものとなった。その住宅デザイン会社が夜逃げ同然のような感じで出て行ったのだ。SPEEDはカンナムディーラーとなってから2年間、実績を積み上げてきたこともあり、いまなら行ける、と原田社長は判断した。2016年のことだ。
だが問題があった。地主の方針としてバイクショップはNGであることを不動産会社から聞かされていたのだ。そんなある日、店の近くで偶然、不動産会社の社長と出会った。聞くと、地主と待ち合わせをしているのだという。結果的にその社長の好意により地主と会うことができた。そして思いを伝えたうえで実際に店を見てもらった。すると「ウチのテナントに車両を置けば、立派なショールームになるだろうし、キチンとやっているようだからいいですよ」と承諾が得られたのだ。
これが「第2のターニングポイント」。住宅デザイン会社がわずか2年で出て行ったこと、偶然、駐車場でオーナーと会うことができ、さらには考えまで改めてもらうことができたことについては、偶然という言葉では片づけられないようにも思えた。
新たな拠点が加わると同時にウラルの販売も開始するなど、ニューブランドのオファーは加速度を増した。
「GPXの商談の時はちょうどその3日前にMUTTの取り扱いを決めたばかりでした。でも話を聞いているうちに、徐々に考えが傾き始めたんです。問題は、もう店に入らないこと。再びスペース問題が持ち上がったのです。新店舗を探し始めたのですが、その時、考えたのは、新店はアンテナショップとして活用し、修理や整備は本店で対応したらどうか、ということでした。この運営であれば、整備士がいなくても対応できる。しかも、ストリート系バイクなので、接客時のトークスキルはそんなに難しくない。極端な話、『カッコいいですよね、このバイク』でいけると考えました」
破天荒な試みだが、「運に支配」された原田社長のアイデアだけに、ひょっとすると? とも思いつつ同氏の、次の言葉を待った。
「福岡大学の近くにまぁまぁ満足できる物件があったので、友人の不動産屋に頼み仮押さえをしてもらいました。その数日後、その物件の近くを通りかかった時、以前、ここが空いていればいいのに、と思っていた物件がテナントを募集していたのです。友人に連絡し急遽、無理を言ってその物件に決めました」
これが「第3のターニングポイント」。その物件の前を通らなければ、2~3日の間に募集を開始したことに気付くことはなかったのだ。 新店は「SPEED Motor Garage 2nd」とした。店内にはMUTTとGPX、プジョーを展示しアンテナショップとして稼働させた。スタッフは来店歴のある、バイク好きな女性。免許はないが、店長として採用した。しかも業務説明は初日のみで2日目からは一人で店を任せた。
「この話をすると、みんな驚きます。でも、バイクは日用品のように数多く売れるものではないので何とかなるだろう、と任せてみることにしました。ある日、新店にいる時、タイミングよくお客さんが来店したので、私の接客スタイルやセールストークを目の前で見てもらいました。商談はトントン拍子に進みすぐに売れました。車両はGPX。彼女からは『あんなに強くプッシュしてもいいんですね』という感想がありました。アタマの切れる女性だったし何かをつかんだのでしょうね。それを機に徐々に売れ始めたのです」
新店では接客・販売で、納車は本店。これが当時の業務分担。そのため納車の様子は分からない。「ユーザーの喜ぶ顔とバイクを確認できないのが悲しい」。これが女性店長の思いだった。でも同店で整備を行うスペースは全くない。そこで、再び移転することを決意した。見つかったのは、スペース・ロケーションともに申し分のない物件。ここを「SPEED Motor Garage 2nd」とした。
旧2ndは立地が良かったために解約せず活用方法を考えていた。その時、フリーで活動する若い映像クリエーターから、動画制作のアプローチがあった。原田社長はそれを受け、制作を依頼。仕上がりは想像を上回るハイクォリティな水準だった。そこで、そのクリエーターが旧2ndに入り、そこを拠点に営業活動を行ってはどうかと提案し話がまとまった。契約形態は、SPEEDに所属してはいるが、営業から制作までを独自に行う独立採算。売り上げは一旦、SPEEDに入り、そこからクリエーターに渡る仕組み。簡単に言えば、SPEEDの映像部門的な位置づけた。店名も「Casablanca Sound Films」とし、機材もすべてSPEEDで購入した。かなりレアなケースだと思うが、これについて原田社長はこう語る。
「未来があるな、と。若くてやる気があるのでチャンスがありそうな気がしたんです。成功を見届けたい、というのが、率直な思いですね。彼がこれまでに手掛けた代表的な映像は、ロイヤルエンフィールドやランドローバー(ディフェンダー)の動画です。ウチから持ち掛けた話ではありますが、かなり評判がよく定期的に仕事をいただけるようになりました」
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