公開日: 2025/12/18
更新日: 2025/12/18
モーターサイクルアートとは、エンジンや車体の造形美を“写し取る”表現ではない。目の前のマシンから生まれる妄想やイメージ、物語を描くことで、私たちに新たな視点をもたらしてくれる存在である。
「物に魂が宿る」。そうした感覚は古来より日本に根づき、道具や素材に敬意を払い続けてきた文化の一部ともいえる。しかし近年は、マスプロダクションであるはずのモーターサイクルにさえ、時を経て“芸術品”としての価値が見出されつつある。世界中でヴィンテージモデルが高額で取引される背景には、人々がモノ以上の何かを感じ始めている事実がある。その新しい価値観の波の中で、国内外から注目を集めるアーティストがいる。Kiichi(キイチ)。舞台役者、広告デザイナーを経てデザイン会社を設立し、「自分が本当に表現したいもの」を探す過程でアーティストへと転身した人物だ。
活動の中心にあるのは、モーターサイクルそのもの…ではない。彼が描くのは、バイクを見たときに頭の中に立ち上がる妄想や物語、イメージの断片であり、日本の漫画・アニメ・浮世絵・神話といった文化的文脈と交差する世界観である。
“モノとしてのモーターサイクルを細密に描く”というスタイルではなく、“そこから立ち上がる像を描く”作家なのだ。その独自性が、Wheels & Wavesをはじめとする海外ブランドが求める「新しい顧客に届く表現」として評価されている。
2010年には、アパレルブランド「白いTシャツと黒いバイク。」を設立。日本屈指の高級Tシャツメーカー・久米繊維工業製の国産ボディを用いた作品は、多くのファンを獲得した。
そこから海外メーカーや著名人とのプロジェクトが加速し、2025年にはヨーロッパ最大級のモーターサイクルカルチャーイベント「Wheels & Waves」の公式ビジュアルアーティストに任命される。さらに姉妹ブランドとして「GRAT」を展開し、表現の領域を広げている。
現在は、SHOEIヘルメットを用いたアートピースが、全国のSHOEI Galleryにてリレー展示中である。
Kiichiの作品は、カテゴリーで捉えることが難しい。ポップアートでも現代アートでもサブカルチャーでもあり、どれにも収まらない。「次は何が生まれるのか?」その予測不能さこそが、彼の表現を待ち望む人々の高揚につながっている。
芸術に詳しくなくとも、初めて作品を見た人が口にする言葉は案外共通している。「とにかく、美しい」。その美しさはバイクファンに限らず、むしろモーターサイクルを知らない人々の心にも届く。Kiichiの表現をきっかけに、初めてモーターサイクルの世界に興味を抱く人も少なくないだろう。
「万物に魂が宿る」。この国が古くから持つ感性を、モーターサイクルという現代の対象に再び宿らせる。
Kiichiは、移動手段や趣味として語られがちなモーターサイクルに“魂の物語”を与える、新たなアートシーンの旗手なのである。二輪業界は新たなフェーズに入った。関わる者全てがその伝統的・文化的価値を理解し、襟を正さなければならないのだ。
人気記事ランキング