公開日: 2025/09/18
更新日: 2025/09/20
21歳という若さでRED ZONEを創業した清野社長。地域に根差した地道な努力の積み重ねにより認知度は向上。その結果、確固たる地位を築き上げた。そんななか新たな柱として急成長したのがバイクレンタル。右肩上がりの成長は拡大の一途となった。ここに活路を見い出した清野社長はこの3月、新店をオープンした。予想通りレンタル需要は好調な推移。だが、そこには大願成就すべきある思いがあった。
「二輪の新車ディーラーになること。これが、将来的な私の望みです」
鮮やかな赤一色で統一された店舗の外観を見ると、新車ディーラーでないのが不思議なくらいだ。看板には「RED ZONE」の文字が躍り、店頭にはVストロームやレブル、エンフィールドのハンター350やZX-25R、CBR250RR、GB350が、店内にはクロスカブ110、モンキー125、W230など人気バイクが並ぶ。
ここは東京都武蔵野市にあるRED ZONE吉祥寺店。他にも杉並区に本店である高円寺店を構える。吉祥寺店は今年3月にオープンしたばかりの新店だ。ここ最近、二輪業界では以前に比べ新店オープンの話はあまり聞かなくなっている。こうした状況を考えると、攻めの姿勢であることが窺い知れる。
RED ZONE(以下、レッドゾーン)を経営するのは有限会社プロジェクト・エスの清野勇作社長。現在46歳と経営者としては若いが業界歴は長い。18歳で二輪販売店に就職し、3年後の2002年4月、21歳の時にレッドゾーンを立ち上げた。さらにはその4か月後の8月、22歳の誕生日を機に法人化した。家業を継いだわけではない。21歳という若さで挑んだ徒手空拳での起業である。このような話はついぞ聞いたことがない。
「この年齢でバイクショップを立ち上げた方は、私が知る限りいません。お金もなかったので、杉並区の中小企業資金融資制度を利用し融資を受けました。こうして開業資金だけは工面できましたが、技術も何もなく、人脈もありませんでした」
かなり厳しい条件下でのスタートだったことが分かる。だが、やらない理由が見つからなかった、と当時を振り返る清野社長。これには同氏の父親の存在が影響していた。職業はペルシャ絨毯の販売業。世界的にも高級品として知られるものだ。商売人としての父親の背中を間近で見て育ったことから、自分で事業を興すことは、半ば必然と考えていたという。18歳で就職した時は出勤2日目にして、すでに「RED ZONE」という屋号にすることを考えていたほど。当時勤務していた店の店名には“グリーン”という色を表す言葉が使われており、そこから想起したものだった。
「政治家もそうですが、やはりイメージカラーは欠かせない。そう思っていました。選んだのは赤。店中にパーっと広がる、そんなイメージを思い描きました。私は会議などで業界の人と会う時、ネクタイを締めるような場では、必ず赤いネクタイを着用します。また、赤い帽子をかぶることもあれば、赤い靴を履くこともあります。先ほど名刺交換した時に見たと思いますが、名刺入れも赤です。イメージの醸成ですね。いまでは、おかげさまで店はもちろん、清野というと赤、というイメージが定着するようになりました」
8月で46歳となった清野社長だが、この若さにして人生の半分以上を社長として店をけん引してきたことになる。これは非常に説得力のある「事実」である。
では、創業前はどのような店にすることを思い描いていたのだろうか。当時は、ユーザーとの距離感の近い、和気あいあいとしたガレージのような雰囲気の店を考えていたという。だが実際は、ユーザーが長時間店に居るような、そんな店づくりは意識的に排除するようになっていた。これには清野社長の、バイクに対する考え方が関係する。同氏が免許を取得したのは16歳の時。当然、バイクが好きだから取得したわけだが、同じ「好き」でも、清野社長の場合、やや趣は異なっていた。乗って楽しむ、ではなく見て感じてカスタムして楽しむ方向に重きを置いていたのだ。
「バイクは大好きなのですが、興味を持った時点での方向性が違ったのです。そこで気付いたのは、バイクは乗るものではなく売るものだ、ということでした。私はクルマも時計もカメラもスニーカーも好きなのですが、それと同じ感覚です。バイクをいじるとカッコよく変化していきますよね。そのプロセスがたまらなく好きなのです」
感覚としては「好きを仕事に」だと語る清野社長。これは最近、同店の求人広告でも用いているフレーズだというが、ここには同氏の深慮がある。仕事をする以上、その分野においては常に「渦の中心」にいたい。そのためには好きなこと、得意なことを仕事にしたほうが、より良い結果が得られる、との判断が強く働いたのだ。清野社長には、二輪販売店経営者としての道以外にも、選択肢があった。それは飲食店。二輪と飲食物とでは全く異なるが、共通しているのは消費者と対面することで、相手の喜びを直接確認できるところ。そこに何よりも魅力を感じるのだという。
稼働した直後は販売車両の仕入れもままならなかったため、基本は修理・メンテナンス一本。当時の本店の敷地はいまの約半分の15坪ほどの広さしかなかった。だが、時間の経過とともにユーザーが増え商売自体の規模も拡大していった。
当時の販売の主力はビッグスクーターやトラッカー系バイク。そこから徐々にラインアップが拡大し、ベネリなどの外車販売にも力を入れた。こうして車両が徐々に充実していった。
店内を見渡すと、冒頭でも触れたようにピカピカに磨かれた車両が30台以上並ぶ。この光景だけを見ると、販売を主体とした店にしか見えない。だが、実際はバイクレンタルの需要がどんどん拡大しているという。収益全体の比率としては、販売が全体の60%を超え、他は修理・メンテナンスとバイクレンタルによって占められる。
では、清野社長がレンタルに力を入れる理由は何か。
「国内の新車販売台数が40万台を切るなど販売が低調な一方、レンタル需要は着実に伸びています。どのメーカーも力を入れている現実を見ても分かるように、さらに成長する分野だと思います。また、インバウンドの増加とともに外国人の割合も年々高まっています。ウチは「レンタル819」に加盟し2店でサービスを行っていますが、実に2割弱が外国人です。本部の発表では全体で3割強という数字が出ています。今後、さらに伸びると言われています。吉祥寺店を出店したのも、実はレンタル需要を見込んでのことなのです。人気車両はレブルやGBなどですね」
本店でレンタルを始めたのはコロナ前のこと。高円寺から新宿までは、JR中央線の快速だと中野、新宿のわずか2駅。立地としては都心寄りでアクセスも良好。「確実に選んでもらえる」。そんな読みが働いた。この考えは大いに当たり、バイクレンタル業務はレッドゾーンにとっての大きな成長株となったのだ。
一方の吉祥寺店は、レンタル強化を主目的の一つとしてオープンした店。住みたい街ランキングでは、吉祥寺は常に上位に入る人気エリア。それだけに高い需要が見込めるだろう、という期待を込めた強い思いがあった。
だが、高円寺と吉祥寺では需要動向は異なる、と清野社長。吉祥寺から高円寺までは、電車でわずか10分程度なのに、動向は別物なのだ。
「両店ともツーリング需要が多いのですが、高円寺店のお客さんは1泊2日が主流で吉祥寺店は1日の人が多い。遠出か近場か、の違いだと思います。やはりバイクに乗ってツーリングを楽しみたい、という純粋な思いの人が多いのが共通点です。バイクを持っている人はモノが好きな人で、レンタルする人はコトが好きな人だとすれば、吉祥寺店は圧倒的に後者。つまりコト消費。もちろん、持っているけど気になるバイクがあるから、といって借りる人もいますけどね」
では実際にレンタル需要はどの程度あるのか。聞くと2店で1ヶ月に130台を超える台数、とのこと。単純に2で割ると1店あたり65台。つまり均すと1日2台以上出ている計算となる。年齢層は圧倒的に20〜30代が多いと清野社長。いまのバイク所有者の中心は50代であることから、非所有者が多いという実態が見えてくる。言い換えれば、バイクユーザーとなる可能性を秘めた層であるということだ。だが、レンタルが好調に推移すればするほど、清野社長の心中はある部分において複雑化していくのであった。
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